「伝説のカフェ」はHIRO珈琲とカフェマガジンの共同企画サイトです。
HIRO珈琲各店、当サイト、雑誌「カフェ」誌上を結んで、
何かおもしろいことをやろうよ、と始めました。 
いろんな人がワサワサ集ってつくられるサイト上のカフェです。
まあ覗いていってください。



●Ediオカモトくん
3月29日号(通巻第8号)

「人生ゲーム・リアルバージョン編」の具体例だが、
(おっと、内容が分からない方は第7号からお読みください)
一般的にサラリーマン編、いきます。

スタートは同じ。新卒入社。
ゲーム人数はわかりやすく4人。
出たカードによって、それぞれ別な会社の新社員となる。
あるゲームの1つの「場」での話しだ。
A.大手金融サービス業
B.中堅製造業
C.中堅サービス業
D.中堅小売・卸業

誰でもいいが、仮にBの往く手を少したどることにする。
理系工学部を出たBは設計1課に配属される。
黙々と与えられた仕事をこなす毎日だ。
3年後。
上司である部長は必ず親会社からの出向であることに気づいたBは自分の先が読め、仕事に嫌気がさしてくる。
カードが偶数であれば転職、奇数であればそのまま。
普通の人生ゲームならそういう展開であろう。
しかしリアルバージョンはここでBの意思が反映される。
転職するか否かは自分で決めなければならないのだ。
ここにゲームの醍醐味がある。
転職後も、とどまった後も、往く先々に意思決定の場が設けられあらゆる人生を自分自身でつかみ取れるようにできている。

だからゲームをしている当人の性格や考え方が、
ある程度ゲームの行方を決める。

そう、現実と同じ。

おもえばこの国の平日の街、すれ違う顔、顔には生気がない。
ゾンビが80パーセントと見受けられる。
男も女も能面のような顔で往ったり来たりしている。
少し観察すると誰でもがすぐ感じると思う。
最近、歩き方を教えてくれる番組をよく見かけるようになったが、
背筋を正し、あごをひき、足をこう出しましょう云々より、
(もちろんかたちを整えることから始まるのだが)
(専門家風にいえば)口角を上げましょうってことが重要なんじゃないかと思うんだ。
つまり、笑み、ですか。
笑い方を知らない国民てよく言われるけど、街を歩くと、
みんなつまらなそうにしているか、哀しそうにしているか、怒っているように見えちゃう。
無表情なんだよね。つまらない。

どんな毎日を送るにせよ、
ガハガハ笑って生きたいぞォー。
このリアルバージョン編を。

ところで先のABCDだが、ゲーム上ではシルバー人材センター「駐輪場整理係」の申し込みの際に
出会うことになっている。

●Ediオカモトくん
3月22日(通巻第7号)


こう不況だ、戦争だとグレーなトーンで周りを固められると、
正直逃げ場のない毎日だ。

桜のつぼみが日々膨らんで、
満開の桜吹雪を思うと大きなため息が出るのは何でだろう?
気持ちと裏腹な風景を目の当たりにすると
精神的に大きな歪みを生ずるものなのか。

そんな気持ちをかき消すように、
ワシらは夜を徹して「人生ゲーム」に興じる。
子供の遊びをはるかに超えた「人生ゲーム・リアルバージョン編」だ。
職業選択は自由。
選択肢も豊富にそろっている。
基本的にはそこがスタート地点だが、
その先にあらゆる困難と予想だにしなかった運命が待ち受けているのだ。

ワシら「人生ゲームをおもしろくリアルにする会」では
月1回の定例会ごとに,枝分かれしていく人生の先々を
1人2パターンずつ考えてくるという課題を
クリアしていかなければならない。
これまでにおよそ500を超えるゲームパターンをストックとして持つ。

「女性の生き方バージョン・主婦編」(独身編もある)
「起業成功への道バージョン」(ゲームとはいえ最終的に成功にいたるのは至難の業だ)
「サラリーマンの道バージョン」(社内の出世と共に家庭内の悲喜こもごもが重なる)
「政治家バージョン」(いかに人を操るかがこのゲームの醍醐味だ)
あくまでゲームとして楽しくなければならないので
現実を想起するような、病気や死に触れないことが大前提だ。

が、いずれのバージョンも現実にありうる男女のあれやこれやや、
融資が実行されない云々、リストラその他も大いに含み、
波乱万丈のゲーム展開は必須。

さらに最近では世界の動向、国の在り方が
個々人の人生を大きく左右するという現状をふまえ、
ダイス振りつつコマをすすめる市販の「人生ゲーム」と同じ
やり方ではリアル感に欠けると判断したため、
会ではトランプカードを採用する方針を決めた。

トランプカードを1枚づつめくり、
その数字にそってコマをすすめるのだが、
しばしばカードゲームの中で革命をおこす
ジャックをキーカードとして登用した。
いわゆる「ジャッ革」。ジャックをめくった場合、
そのゲーム内の好きな相手と人生を取り替えることのできる権利を与えられる。
もちろん取り替えなくてもよい。

自分の意志と運命。
順風満帆な人生を行くものも、
波乱に富む人生を歩みつつあるものも、
ゲーム中は我を忘れてもう一つの人生を真剣に生きる。

「現実の人生を第3者の目で眺める訓練ができる」
これがこのゲームのコンセプトだ。
次回に具体例を示すことにする。
(つづく)


●Ediオカモトくん
3月8・15日合併号(通巻第6号)


件(くだん)の女友達が、(第5号の話だ)チャリティーコンサートに
15分間だけ出演するというので、京都まで赴く。

「ずっと、自分は音楽に入りこめない、
音楽がこっちを向いてくれない、と思いこんできた。」
と『ヴェネツイアの宿』の中で須賀敦子氏が書いていたが、
そのとおり! オペラほど入りこめないものはないと思っているのだ。
友人の声を聴きに行くのではなく、
同窓が幾人かで行ってやろうというので、
なかば義理で同行した。
そういった意味で彼女自身を応援はしているが、
彼女の音楽を聴いてみようとも思わなかった自分に気がつく。

須賀氏がヴェネツイアに泊まった夜はたまたま劇場の200年祭で
「音楽界の中身が劇場前の広場にスピーカーで通行人にまで分配され」
「デイバックを背負ったままで、男の子の胸に頭をもたせて聴きほれている少女。
暗い空に広がっていく音を目で追うかのように、顔をあげたままうずくまる金色の髪の青年。
ひっそりと手をつないで、用意よく小さな金属製の折りたたみ椅子に
こしかけている夫婦らしい白髪の男女。四、五人つらなっている女子学生ふうの一群。
その上を光と音がゆっくりと流れていて、
まるで、どこか遠いところの川底で夢を見ているようだった。」
と、その日のヴェネツイアの街の様子を書いている。

そんなふうにしてオペラを楽しむことはできない、たぶん。
FM局から流れるアリアも、TVの映像も関心をもって見聴きしたことはないのだ。

はたして、舞台に友人が現れた。
オペラにもそして友人にも聴衆としてじかに現場で対峙する初めての経験だ。

ソプラノが空を裂いた。
これが人の声なのだろうか? 
声帯のふるえによるビブラートは自然界に生きる動物の声にも似て力強い。
(オマエ、やるなー。やるじゃないか。)

友人のいる世界のことは分からない。
今月の電気代をどこから工面するかといったことに悩むという電話もときどきある。
帰ってくれば…という言葉が頭に浮かぶが、口をついては出てこない。
どこまでいけるかやってみたいと思っている人間に対しては失礼な言葉だ。

不覚にも涙が出た。
まわりに気づかれぬようにあわてて手でぬぐった。
かつて沖縄で三線と共に踊る宿の人に囲まれて、頬をつたったことがあった。
美術館でゴッホのひまわりの前に立った時、ツーっと流れた。
音楽や絵画が、自分の中の何かと触れてしまった時だ。
彼女に関するエピソードのあれやこれやを抜きにしても流れたものと信じたい。
とんぼ返りでパリに帰るという友人と結局ひと言も交わさず、帰途に着いた。

会ってもおちゃらけるだけの自分に落ち込むハメにならずホッとする。


●Ediオカモトくん
3月1号(通巻第5号)

「あっ、オカモトォー。あたしぃ」
(ってお前また男とうまくいってねーんだろ)
図星だ。
お互い恋愛感情のわかない同級生の女友達だ。
パリにいる。
隣の部屋からの電話のように大音量で一方的にしゃべってくる。
いつものことだ。
受け応えの時に生じる一瞬のタイムラグだけが
東京とパリの距離を感じさせる。

(で、今度はどんな男の話なの?)
「アタシがこれまでつき合って来た中で一番バカな男なの、
だってブッシュを支持してるなんて言ってるし、
たぶんもうすぐ別れると思うわ」
(ほう)
「アタシのアパートに泊まると彼、いつも朝食の用意をしてくれるのよ。
アタシはいつもメルシィと言うの。メルシィと。
最近彼、仕事で疲れていて朝の目覚めが遅いから、
アタシが朝食の支度をするのよ」
(なんだ、ノロケ話かよ)

それから彼女の声が1オクターブ上がった。
「彼、なんて言うと思う? トレビアンって言うのよ! トレビアンって!」
(…? はあ?)
「オカモトォー。あんた、わかんないの? (ため息)」
(わかんねえ、オレ)
「メルシィは感謝の言葉、アタシはいつもメルシィと言ってるの。
トレビアンは“すばらしい”というホメ言葉。
アタシはホメておだてられて何かをするのは嫌なのよ。
メルシィと言いなさいっていうのよ。メルシィって。まったく頭にきちゃう。
もう別れるわ。きっと」
(……。)

(…アンタとつき合う男は大変だわ。嫌ならさっさと別れればいいのに)
「でもどうしてつき合っているかっていうと、彼、バカでサイテーなんだけど
生きていく哲学を持っているのよねー。じゃあね」
ガチャン。

…途方にくれる。
いつもこんなだ。
アタシが日本に帰るときは凱旋する時、と言ってはばからない。
声楽家だ。
憎めない。

じゃあ凱旋パレードの時の運転は任せろよ、と思っている。