「伝説のカフェ」はHIRO珈琲とカフェマガジンの共同企画サイトです。
HIRO珈琲各店、当サイト、雑誌「カフェ」誌上を結んで、
何かおもしろいことをやろうよ、と始めました。 
いろんな人がワサワサ集ってつくられるサイト上のカフェです。
まあ覗いていってください。




6月28日号(通巻第18号)

今日はちょっと予告をさせてください。
待望の(?)雑誌「カフェ」(通巻第8号)が
リニューアルして、全国大型書店にて
7月10日前後に発売となります。
大きくなってA4判。
内容も大幅に変わります。
この「伝説のカフェ」の記事もたくさん載っていますよ。
あまり知られていないと思いますが、
全国喫茶飲食組合という組合があって、
(飲食業の組合は他にもたくさんありますが)
多くの喫茶店やレストランなどが加入しています。
リニューアルする雑誌「カフェ」は主に
現在カフェやレストランを経営している人や
これからカフェを開業したい人向けの雑誌です。
組合の人に読んでもらい、
組合以外の人、カフェ好きな人が読んでも
楽しい内容となっています。

いいお店をつくっていくことって
本当に大変で、
「お客様と共に在る」という姿勢が常になければ、
いい店は作れない。
だから、こうして利用しているお客様の声がじかに聞ける
このサイトの意義は大きいと思う。

今、このサイトでは禁煙・喫煙問題が
大きくとりあげられているが、
この問題は「HIRO珈琲」だけの問題ではなく、
どの飲食店にも共通の普遍的な問題なんです。
雑誌もいろいろな人に読んでいただけるようになり、
このサイトにも全国から本当にさまざまな意見をもつ人が
たくさん訪れてくださり、
それをいいお店づくりの参考にしていく経営者がいれば、
日本中にいいお店が少しづつ増えていくことになるでしょう。

東南アジアの国々や近いところで台湾などには
美味しくて、安くて、楽しい店がたくさんあります。
活気があって素敵な店ばかりです。
男も女も外で働き、夕食は外食が一般的と聞きます。
今後、日本はもっともっと共働き率が増えます。
栄養面でも、美味しさでも、値段でも、雰囲気でも、
納得できて手軽に立ち寄れる店が増えれば、
共働き夫婦のニーズに十分応えることができるのです。
お惣菜が注目され、その味も種類も大きく変わってきたのは
そのあたりのニーズに応えているわけです。

雑誌「カフェ」のコンセプトは
「日本のカフェをもっとよくしたい」
乞う! ご期待。

6月21日号(通巻第17号)
某サイトで作家の川上弘美さんが、
対談の中で、「完成した生活」について
ほろっとコメントした言葉が、
頭の中でグルグルめぐってワシを捉えている。

「(前略)…完成した生活ってあるのかなぁ……?
つまり、
『何が完成した生活か?』
というのには、いろいろな社会的な刷りこみとか、
地方ルールとかが、ありますよね。

人類の文明みたいなものがはじまってから
まだ数千年でしょう。

数千年て、短いですよね(笑)。
だから、まだ短いから、
誰だって完成してないと思うの。」

さすが、作家は考えることが違うね。
肩の力が、ガタガタ抜けました。
何億光年という単位の宇宙、
何十万年という人類の歴史、
そして人類の文明はたかだか数千年…。
短いよね。完成していないよね。

自分も世の中も未完成だということを、
あらためて認識しなおした。
「自分はまだまだだ」と思っている。
でも一生「まだまだだ」と思っているんだろうな。
過去の歴史を見てみても
完璧で非の打ちどころのない社会があっただろうか。
いつまでたっても完成した姿(素晴らしき理想)を
追い求めて、追い求めていくのが
ワシらなのかもしれない。

しかし、いつまでたっても未完成かもしれないけれど、
その過程と微々たる成長は評価するに値するだろう。
この国の政治も社会も、はたまたこの「伝説のカフェ」も
手の届かない(届くわけもないし、届いても面白くなくなるが)
桃源郷のような世界を夢みて、少しづつでも
コマを進めていくわけです。

禁煙席・喫煙席といった問題もその1つであるわけですな。
あっ、またその問題に帰ってしまった。


月14日号(通巻第16号)
完全禁煙・分煙…果てしない論争になりそうですな。
最近ではよく、喫煙者が駅のプラットホームの喫煙コーナーで
ヤクが切れた中毒患者のように群がって、
一心不乱にフカしている姿を目にします。

互いに移動できる空間では、それでもいいですが、
カフェやレストランとなるとお互いに我慢できないですわ。

強力な空気清浄機の設置と
効果的なパーテーション(仕切り)づくりが
これからの店には必ず必要です。
店側の姿勢を表さないと。

店の姿勢と共に改善を迫られるのは
喫煙者の意識の向上です。
職場でも家庭でもだいぶ肩身の狭い思いをしてきているからこそ、
禁煙でない、いいカフェなんかでは
心底ゆったりと一服したいという気持ちは大いにわかります。

しかし逆の立場に立てば、
トラックの排気ガスをもろに吹きかけられた気分。
さすがに吸殻のポイ捨て禁止というモラルは浸透しつつありますが、
自分のはいたタバコの煙の先にまで
気を使うべき社会になってきたということですな。

自分の出したごみの最終的な処理段階まで想像できることが、
ごみの分別を徹底させる意識の向上につながるのと同じです。

共に生きる社会だからこそ、
真剣に考えざるを得ない問題の1つだ。
(なんだか今日はオチがないなあ。すまん)