「伝説のカフェ」はHIRO珈琲とカフェマガジンの共同企画サイトです。
HIRO珈琲各店、当サイト、雑誌「カフェ」誌上を結んで、
何かおもしろいことをやろうよ、と始めました。 
いろんな人がワサワサ集ってつくられるサイト上のカフェです。
まあ覗いていってください。




7月26日号(通巻第21号)
雨が続き、肌寒く、セミも鳴かない夏だ。
冷やし中華も食べたくならない。
水着売り場も寒々しい。

実はこの3月くらいから、今年は気候がいつもと違う、と
体で感じていた人たちがいるらしい。
いや実際には個々の単位ではわからなかっただろう。
どうも様子が変だと感じている。何かの折に話す。
えっ、実は知り合いも。友達も…という具合だ。
知人・友人・そのまた知り合いあたりまでの話をひっくるめると、
どうも気候(もしくは気圧?)のせいとしか考えられないのだ。

「いやあ、20年来おきなかった喘息の発作がおきましてねぇ」
「うちも子供の喘息がいつもよりひどくて、
入院するまでひどくなりましたよ」
「春さきに風邪をこじらせてからこの季節まで咳が止まらなくて、
先日医者に行ったら、軽い喘息だといわれてびっくりしました」
こんな話が続出だ。

呼吸器専門の医者に話を聞けば一発でわかる話だと思うが、
われわれ素人には、なんかそんな気がする…程度のことしかわからん。
自然相手にはどうすることもできない。

テレビに出てくる人や、新聞に書いてある言葉や、
駅周辺の大勢の人、それに直接目にしない多くの人の言葉や行動の波(情報?)で、
なにやら最近しんどいなぁと感じるんだよ。
えっ、オマエもかよ、オレもだよ。
たぶんこんな話も続出じゃないのかなあ、実際のところ。
専門医もいない、いい処方もない。
…なんてね。

陽射しもない、青空も仰げない毎日がこう続くので
くすぶってしまった。
いかん。いかん。
週末だというのに誰もいない浜と海の家を
見て帰ってきたばかりの状況で書くから、
こんな内容になってしまった。
すまぬ。

7月19日号(通巻第20号)
「いまからでも間にあう短期エクササイズ!」
「Tシャツの似合う体になる!」
この季節、雑誌の特集もスポーツクラブのチラシもこのキャッチだ。
最近気になってきたビールっ腹をさすりながら、
鏡の前で腹を出したり、引っこめたりしている。
風呂上がりに間に合わせに腹筋などして、
汗をかき、ビールでのどを潤していたら何にもならないよな。

最近はカヤックに行く時間もなく、
フラストレーションもたまるばかりだ。
カヤックというのはウエストを引き締める。
下半身がある程度固定して、
上半身をよじるようにパドルをさばくからだ。

所属しているクラブのメルマガで、ホホォと思うニュースを読んだ。
湘南・葉山にもイルカが遊び、熱帯魚が増え、
海ガメが産卵に来るという。
海で遊ばせてもらってるんだから、
ビーチクリーンをしようよとクラブは常に呼びかけている。
きれいな海に戻そうという小さな気持ちと地道な行動が
少しずつ実を結びはじめているのかもしれない。

近所の川で蛍が舞うようになって数年になる。
年々蛍発生の場所が増え、数も増えていると聞く。
鯉の放流も数匹の鴨を放つことも、はじめは人工的に行った。
が、そこにサギが住みつき、鴨が次々と繁殖する。
子供がザリガニを取り、カメと戯れる光景が
最近の夏休みに自然に見られてきたということは
地域行政プランの成功の賜だろう。
30年ほど前に、山と森を崩し、
ベットタウンにしてしまった郊外の町の話だ。
土地を分譲し始めたころの風景は
砂の舞う砂漠であった。
行き場を失くしたヒバリがうろうろと上空を舞い、
やがて姿を見せなくなっってしまっていたのだから。

再生や復興には長い年月と気持ちが必要だ。
「なんとかしなければ」という源流・発端・気づき…
そういうものって大切なんだ。
ワシの腹も今が気づきの時なのである。


7月5・12日合併号(通巻第19号)

禁煙席・喫煙席についてなお激しいバトルが
繰り広げられていますが、なんだかんだいって、
HIRO珈琲という店を愛するがゆえのことなんだなあと
傍観してしまっているわけです。
タバコをくゆらしながら利用する人も、
このタバコの臭いさえなければなあと思って利用する人も、
その店が好きだから力が入ってしまう。

自分にはそこまで好きな店はあるかなあと、
考えるとそれほど思い入れのある店はないように思う。
(あの店が)好きなんだけど、
タバコがねえと思えば自然に他の店に行く。
(あの店が)好きだったんだけど、
全面禁煙になってしまったから他の店に行く。
そういうことです。

『バカの壁』(新潮新書)という養老孟司先生の
最近の大ベストセラーを遅ればせながら読んだ。
「バカの壁」って何?
このタイトルは多くの人を惹きつけた。
その「壁」については、何回も繰り返し読んで
考えている私自身も依然考えている状態なのだが、
考えるいいきっかけを与えてもらった。
今後の自分の人生にしろ、社会現象にしろ、
現実の社会生活の中で、あれ? これってあの「壁」がある?
って考えられるようになったら、
この本を読んだ意義は大きいなあ。
興味のある方はお読みください。

物事を「そんなことはわかっている」「知っている」と
簡単に受け止めること、一元論で論じること、
または自分は正しい、自分自身というものは変わらない、
と思ってしまいがちなこと…あらゆるところにあの「壁」がある。

うーむ、もしかしたらこの禁煙・喫煙論争の中にも?
(と、ここで終わらせるのはズルいなあ、自分。)