株式会社ヒロコーヒー
株式会社ヒロコーヒー
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タイの街中では自然な形でコーヒーが
人々の生活にとけ込む
  タイのコーヒーは1904年、イスラム教徒のタイ人がメッカ巡礼の帰りにインドネシアのスマトラ島に立ち寄った際、ロブスタ種のコーヒーの苗を手に入れ、南部ソンクラー県で栽培したことがはじまりらしい。 同じ東南アジアのインドネシアでのコーヒーの歴史は400年。 日本にも1690年にオランダ人によって持ち込まれている事からみてもタイコーヒーの歴史は非常に浅いと言える。

1960年当時の生産量は750tだったが国内消費は遥かにそれを超え同年6,000tのコーヒー豆を輸入している。生産量を増やす為に王室プロジェクトによる山岳の少数民族に対するアヘンからコーヒーへの転換栽培の奨励などが盛んに行われ25年前からはアラビカ種の栽培が始まった。その後ロブスタ種の生産量は2000年の数字で約8万2,000t(約137万袋)、輸出量は同約4万8,000t(80万袋)でほとんどが米国にインスタント用として輸出され、生産量800〜850tのアラビカ種はほぼ全量が国内で消費さている。日本でタイコーヒーに馴染みがないのもその為だ。

しかし、その中には良質のコーヒーも多く含まれており、我々が現在直営店舗で取り扱っているタイ・アラビカ「タイの希望」もその一つだ。
 
話が少しそれるが、ヒロコーヒーに少し変わった経歴を持つスタッフがいる。
直営部阪急うめだ本店所属平井もも(2011年入社)。

彼女は大学卒業後、単身タイに渡り前述の少数民族に対するコーヒー転換栽培プログラムの継続事業にNPO職員として関わってきた。帰国後「自分が生産に関わったタイコーヒーを今度は消費者に直接伝える仕事がしたい」との夢を持った彼女がそれを実現する場として選んだ当社で、まさに彼女が現地に住み込んで生産者と共に作り上げたクンチャンキアン村のコーヒーを取り扱う事になったのには強い縁と彼女自身の運を感じるのは私だけか。 ここでは2013年、この平井を伴いクンチャンキアン村を訪問した時の事について触れてみたい。
 
二十歳そこそこで単身タイに渡りコーヒーを作っていたというだけ
あってこの娘のバイタリティたるや、侮れない
 

クンチャンキアン村。モン族はとても柔らかい物腰である一方、
優れた兵士でもあったらしい
  タイ北部の都市チェンマイから約車で1時間半。 国立森林保護地区内(にクンチャンキアン村はある。

タイ北部に約10種100万人が暮らすと言われる山岳の小数民族の中で活発で統率がとれているとされるモン(HMONG)族の村を訪れたのは1月末でコーヒー収穫の終盤という事もあり村は活気に溢れていた。
 
少し補足しておくと村のコーヒーは約30年前に国連や王室プロジェクトの一環でアヘンの原料となる芥子栽培に代わる作物としてプラムやライチなどと共に導入された作物のひとつだったが当時コーヒーを飲む習慣がなかった村人はあまり興味を持たずさらに販売ルートも確保されていなかった為に長年収穫されずに放置されたままになっていた。その後村人のコーヒーに対する考え方も少しずつ変化しチェンマイ大学の指導もあった事で再び手がける村民が増え、それをアシストしていたのが入社前の平井だったという事になる。  
うまく自然に馴染んだコーヒー園は実に絵になる
 

ライチの木陰でひと休み
  村内の代表的な農園を視察するとまず目を引くのはよく手入れされた足元だ。
日本のよくある田園風景をイメージしてほしい。

雑草がほとんど伸びずきれいに整備されたあぜ道の間に整然と並ぶ作物。日本の田園や畑は換金作物を植えた部分には他の植物が発生するのを抑える為に様々な薬物を使用する。残念ながら私の息子はメダカやタガメが泳ぐ田圃を見たことがない。
 
ここクンチャンキアン村はというと一見森や林と見まがう様な園内ではあるが、よく見てみると雑草(主人公が「雑草という植物はないよ」と言った小説が売れたのは少し前か)は人力で適度に刈りそろえられ、コーヒーがある場所には地表の乾燥を抑えてリンとチッ素を供給するライチの木が植わっている。コーヒーの日陰樹としてよく利用されるバナナはほとんど見られない。

(実はこのバナナ、成長が早く換金性も高いが問題が多いのも事実で世界的企業数社の寡占的状態故に製品規格がきつく定められている為に売り物にしようとすると薬漬けになる事が知られており、周りの植物から必要以上に水分を吸収するので灌漑設備がない水不足の畑には不向きとされている) 村民により手摘みで収穫されたコーヒーチェリーは精製所に集められその日のうちに処理される。
 

チェリーの外皮を剥いて豆を確認する

豆を取り出した外皮は良質の肥料となる

外皮から取り出した豆を冷たい水で丁寧に洗うのは地味だが非常に過酷な作業だ
チェリーの色はすべて完熟半歩手前の明るい赤色。 (実はこの全て同じ色だけを収穫人に徹底させるのが何より難しい。ラテンの収穫人は完熟の赤色と未熟の緑色の区別が付かないのではないかと本気で思う事がある)1500m超のハイランド産の収穫タイミングである深い赤色と比べると熟度は少し早い様にも見えるが村の指導を行っているチェンマイ大学の教授によると「This is Best」らしい。家族経営の小農家は精製所まで徒歩1〜2時間かけて収穫したものを持ち込むというから熟度が高いほど短時間で劣化するチェリーの品質を均一にする為には確かにこれがギリギリのタイミングなのだろう。 日陰樹の選定といい、収穫のタイミングといい、実によく考えられると共に徹底されている。

平井曰く「タイの習慣はリーダーや親、年上の人に従うことが第一。言われたままに素直に信じる事がよいとされるので、村長の理解を得られれば、ここでの運営自体にはあまり心配はない」らしい。 中米の大農園主が聞けば大金を持って村ごとヘッドハンティングに来そうな話である。
 
 
私は生産地と消費者をつなげることを自身の大きなテーマにしているが、そこには明確に線引きをしている。
「美味しいものにしか対価は支払えない」
消費者は味を求める権利があり生産者は味を追求する義務がある。

この関係が成立して初めてWin-Winの考え方とつながるのであって過剰な支援や援助が逆に悪影響をもたらしたり、計画通りの結果をもたらさない例は数えきれない。生産者自身が努力したものに対して発生した対価にしか持続性はないということだ。
 

やり手のビジネスウーマン(平井談)らしくコーヒーを語りだすと
止まらなくなるナルさんに強い親近感を抱く
  さて、ここで肝心のところに話を触れたい。 タイコーヒーの品質はどうなのか。 答えは「This is Best」ではないと思う。誤解を招かないように補足しておくと「最上級ではないが可能性を秘めた高品質コーヒーは数多くある」といったところか。事実、ここクンチャンキアン村のコーヒーを我々が扱ったのもボランティアで販売しているのではなく社内の品質管理者がバックグラウンドは考慮せずに味覚だけで判断してGOサインを出したからで土地のポテンシャルと真面目な民族性を考慮すると第二、第三のクンチャンキアン村が存在する可能性は非常に高い。

チェンマイ市内で広く展開し積極的にクンチャンキアン村のコーヒーを買い付けているHILLKOFFのNARUEMON TAKSA_UDOMさんに話を伺うと全く同様の話が聞けた。
 
「クンチャンキアン村を始め周辺の豆の品質は上昇していてロンドンで行われたコーヒー競技会 The 7th World Cup Tasters Championshipで入賞するなど国際的に評価を得ています。生産者へ今以上の品質向上につながる情報を与え消費者に紹介していくのが私の役目です」

私が言いたい事をそのまま先に言われた感じだが、生産と消費を両輪で手掛けるタイのコーヒービジネスに携わる人間は我々以上にこれからのタイコーヒーにかける思いが強いのは至極当然か。
 
 
クンチャンキアン村訪問の最後に平井が滞在時に御世話になっていたという
ホームステイ先のメェー(現地語でお母さん)の元を訪ねた。
 

メェーと再会

平井のメェーとポー(お父さん)との語らいは言葉が通じなくとも心地よい時間
 
そこで平井とメェー達の歌う様な会話(チェンマイ方言の特徴)を心地よく聞きながら、日々時間に追われる私達の生き方と彼ら山岳民のゆっくり自然と共存した生き方の「幸せの違い」について私は考えていた。

そこに浮かんだのが「田舎(自然との距離)」というキーワードだ。 田舎には人間が半永久的に自然と暮らしていくための大きな知恵があるとされ、近年注目される日本の「里山」にも共通する自然への手入れの思想がここにはある。 残念ながら現在のタイの都会部で山岳の少数民族は「貧しくて田舎者だ」「勝手に自然公園の森に住み込んでいる」と差別の対象にあう場合がある。
 
村の小学校では唄の歓迎が待っていた
 
  最近では同じ山岳の少数民族であるカレン族の村が国立森林保護地区に不法に滞在しているという理由で森林局員らによって家や(竹で作った質素な家だが、それでも立派な彼らの家)大切な米を保存する米蔵を焼き払われる事件があった。

「田舎者」の生き方とは「自然に逆らわない生き方」であり、 そうやって自然に寄り添って生きるほうが人間にとって本当の幸せをもたらすのではないだろうか。
 
当たり前の話だが、自然は人間にいつも都合のいいようにできているわけではない。
時に人間に災いをもたらすこともある。
だから自然の中では人は協力し寄り添わなければ生きていけない。

自然に寄り添い、人に寄り添って生きる。
自我を通すのではなく周りに合わせる事の大事さを彼らは知っている。
自然の一部である人間自身は自分を完全にコントロールすることが幸せにはつながらないのだ。

毎朝決まった時間に起きる為に目覚まし時計が要るように。

賭けてもいい。
クンチャンキアン村に目覚まし時計はひとつもない。
ヒロコーヒー
焙煎責任者 山本光弘
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